その子は大きなオスのキジトラで、年齢は6~7歳くらい。体重はゆうに6キロを超えていた。野良生活をしていたので顔には凄みがある。命がけで生きてきたことがわかる顔だ。血統書付きの猫は、こんな深みのある表情はしない。
最初は近づくことすらできなかった。低い唸り声をあげて威嚇される。距離を詰めるとその唸り声は一段と大きくなった。この子を一週間もお世話するのか、まいったな。それが率直な気持ちだった。なるべく興奮させないように、ゴハンとお水を静かに交換し、おやつを置いて帰った。
来る日も来る日も同じ作業が続いた。ゴハンとお水を交換し、おやつを置いて帰った。飼い主さんに報告するメールの文面も、同じ内容になってしまう。和猫(雑種)は警戒心の強い子が多い。とりわけ野良生活をしていた子はその傾向が顕著だ。仲良くなるのは難しいかな、と思った。
変化の兆しがあったのは五日目を過ぎたくらいだったろうか。まともに向かい合う事すらできずにお世話期間が終わる、いわゆる完封負けを覚悟していた矢先だった。これまでも何度もやさしく名前を呼び続けてはいたが、この日は反応が違っていた。
美味しいおやつをくれる人、特に危害を加えない人、心はまだまだ許せないけど、警戒レベルを少し下げても大丈夫そうな人。ネコにしてみれば、これくらいの心境の変化だったのだと思う。この日初めて、私の目の前でおやつを食べた。最初はおっかなびっくり、でも徐々においしそうに、そしてしあわせそうに食べた。
私は誇らしげに飼い主さんに報告をした。いつもと違うメールを送れることがうれしかった。その子とほんの少しだけど、心が通じ合えたのがうれしかった。その日、私は一人静かに祝杯を上げた。まだシッター業を始めて二年目のことで、今日の出来事は、間違いなく私のその後お仕事の自信につながった。
飼い主さんは、海外に出かけることが多く、そのあとも何度もその子のお世話をする機会に恵まれた。会うたびに、その子との距離はどんどん縮まった。目の前でおやつを食べるのはもちろんだった。ブラッシングも平気。抱っこさせてくれるようになった。とても重たい子だったので、抱っこしたときの充足感を全身で感じることができた。
すごく心根のやさしい子だった。そして臆病だった。今にして思えば、初めて会った時も、唸られ威嚇はされたものの、引っかかれたことは一度もなかった。大きな体をしているのに、混乱すると目を真っ黒にしておどおどしていた。新入りの子猫が来た時も、決して子猫を威嚇するようなことはなかった。
私がお世話をする以前、先住猫に対しても低姿勢で、常に先輩を立てて自分は一歩引く、とてもやさしい性格をしていると聞かされたことがあった。本当にその通りだと思った。仲良くなるまでは、そんなことなどわかりはしない。でも、この子のやさしさが今ならとてもよくわかる。
その子は、お尻を叩かれるのが好きな子だった。このことは飼い主さんも知らなかった。お尻を軽くたたくと喜ぶ猫は意外に多い。試しに軽くたたいてやるととても喜んでくれた。それからは、私の顔を見るとお尻を向けるようになった。私は一介のシッターから、お尻をぺんぺんしてくれるとても良い人に昇格した。
信頼関係が築けた後は、お世話がとにかく楽しくなった。膝にのせて記念写真を撮ったりもした。その子は何事かときょとんとしているのだが、私の方はとてもうれしそうに写っており、完全に人間のエゴだな、シッターの自己満足だなと、今となっては恥ずかしいと思うのだが、その時は本当にうれしかった。
それから5年の月日が流れた。お客さんの猫だけど、ほとんど自分の子のような感覚になっていた。お客さんも増え、比例してお世話をするネコも一気に増えた。でも、この子のお世話だけは特別だった。今の私があるのもこの子のおかげだった。
「尿量が多いんです。いい病院知りませんか?」突然飼い主さんからメールが来た。その子も今や12~13歳だ。猫は年を取ると腎臓が弱り、尿量が増えることが多い。飼い主さんと何度かやり取りをして、病院に行くことが決まった。
診察の結果は、糖尿病だった。猫でも糖尿病になるのかと驚いた。同時に自分の不勉強を恥じた。このようなことで驚くようでは専門家を名乗る資格はない。人間でも肥満になるとリスクが高まると言われている。大きな子だったから、猫も同じようなことが起こるんだなと思った。
朗報が舞い込んだ。とても良い治療薬がある。しかもつい最近、発売が解禁された特効薬だという。私は安堵した。しばらく通院と療法食になるが、薬が効いてくればまだまだ全然生きられる年齢だ。早く元気になれ!またペンペンするから!私は毎日毎日念を送った。
特効薬という触れ込みの割に、効能は芳しくなかった。その子の体質に合わなかったのかもしれない。飼い主さんも必死に看病してくれた。ペットの治療はお金と時間と体力、そして精神力そのすべてが要求される。頑張っている飼い主さん、そして猫。私にできることは何もないが祈らずにはいられなかった。
飼い主さんから今日明日が峠かもしれない、最後に一度会ってやって欲しいというメールが来た。私は驚いた。病気も明確にわかり投薬もしている。厳しい野良時代を生き抜いたこの子がそう簡単に死ぬはずがない。絶対に大丈夫と思いつつも、私はその子の元へ向かった。すでに涙が出始めていた。
飼い主さんの見立て通り、生気がかなり減退している。私と最後に会った日から少し時間が経過しているので、私だとペンペンしてくれる人と認識してくれたかは定かではない。そんなことよりも、その子に無用なストレスをかけたくなかった。私は部屋の端からその子の顔を見つめていた。
今夜が峠と言われたが、その後、小康状態となり、容態は一進一退を繰り返していた。自力でエサを食べ始めたと言ってはよろこび、薬を吐き戻したと言っては落胆した。もうダメかもと思う気持ちと、また絶対にペンペンする、頑張れ!という気持ちが交錯する日が続いていた。
おはようございます。本日、朝、七時半ごろ、帰天しました。ついさっき来たメールにはこう書かれていた。言葉が思いつかない。
メールにはこうも書かれていた。この子が大和屋さんと出会えたことに心より感謝申し上げます。
涙がふいに止まらなくなった。全くの逆である。どれだけたくさんのしあわせと自信をこの子からもらったことか。
本当にありがとう。あなたのお世話をできたこと、私は誇りに思います。共に過ごした時間全てが、私の財産です。死ぬまでは忘れることありません。どうかいまは安らかに眠ってください。